結縁灌頂 を受けてみました
(体験レポート)取材・文:藤田ベリー




およそ1200年前、弘法大師・空海が長安にて
弘法大師が投じられた華(花)は、いずれも大日如来の上に落ちました。師からその弟子へ、さらにその弟子へ。脈々と受け継がれて来たその儀式に、私たち一般人が参加できる……。
「えっ? それってすごいことじゃない? 本当にそんなことが可能なの?」というのが正直な印象でした。それは僧侶にならないと、受けられないと思っていたからです。しかも宗旨・宗派を問わず、誰でも受けられるとのこと。
高野山結縁灌頂は年に2回あります。5月に行われる春季
聞けば、知る人ぞ知る人気ぶりで、高野山では最近まで整理券を求めて朝から並んだのだとか。しかも、朝から夜遅くまで待っていた人も多かったそうです。
それが、今ではチケットぴあにて事前予約できることになり、家のパソコンやスマホからでも予約可能に。これは画期的です。

体験取材に伺ったのは春季胎蔵界結縁灌頂。集合場所は高野山の「金堂」です。多くの参加者に混じって一人で受けることになりました。
決められた時間に金堂前に着くと、すでに同じ時間に受ける人たちが並んでいました。靴を脱いで回廊を歩き、金堂に入る前に簡単な高野山の説明があります。簡単といっても、まったく知らなかったことも教えてもらい、期待はどんどん高まります。
金堂に入ると中は薄暗く、同じ班の人たちと席に座ります。20~30人くらいでしょうか。堂内からは真言の声が聞こえ、前の班の人たちがまさに儀式のまっ最中。
やがて、僧侶の説法が始まります。しかし、感動的なお話で、内容が良かっただけでなく、何かが違うのです。それを言葉にするのはとても難しいのですが、1200年続く“長い歴史の中にいる”という感覚でした。
説法が終わり、阿闍梨様から戒律と、結縁する際に必要な真言や印を授かります。そして、受者一人ひとりが仏さまになること、仏になって世の中のために尽くすことを教わります。そこで、この儀式が本当にすごいものだということを再認識します。
密教が初めての人には分かりにくいかもしれませんが、これは「
自分も仏さまになる。それは、仏さまと縁を結んでいただくための、最低限の礼儀なのかもしれません。

その後、班全体で違う場所へ移動。堂内には大勢の人が結縁灌頂をしているのか、少しずつ儀式が進行します。その間、高野山の僧侶をはじめ、参加者たちの
とにかく、こういう儀式へ初めて参加する私には、体験したことのない神秘的な儀式。日常のそれとは全く別次元のわくわくドキドキ感です。
次の場所に移り、いよいよ教えてもらった印を組みながら、真言を唱え始めます。そして、その次の部屋からはなんと、目隠しをして歩くことになります。
両手は印を組み、
ただ、心配することはありません。僧侶が優しく導いてくれます。前の人の背中から指が離れてしまっても、そっと僧侶の方が手を貸してくださいました。
真っ暗な空間でずっと真言を唱え続けていると、いつの間にか自分が“個”を超えて、その場と一体となっていく感覚を覚えます。自分が違う世界へ、一歩入ったことが分かりました。今まで体験したことのない新鮮な体験なのだけど、どこか懐かしいというか。弘法大師からずっと続いてきた歴史の中にいることは確かでした。敏感な人ならもっと良い表現が見つかるかもしれません。

やがて、僧侶に誘導され、ある場所に到着します。そこで両腕を伸ばし、樒を落とすのです。そうです。これこそ弘法大師が唐の都・長安でされたという「
何も見えませんが、そこには曼荼羅が置かれ、自分と縁を結んでいただける仏さまがいらっしゃるはず。そして、ついに目隠しを外され、僧侶に勧められて目を開けます。そこには……。
外へ出ると、降っていた雨も上がり、清々しい壇上伽藍がそこにありました。いつもの世界へ帰ってきた感覚といいましょうか。まるで夢を見ていたかのような時間でした。
結縁灌頂のお守りなどを授かり、すべて終了。所要時間の1時間半はあっという間に過ぎていきました。
じつは高野山では何度も参加しているリピーターの方が多いのだとか。まさに同感! 一度参加すると、また参加したくなる。そんな儀式なのです。
※参加者は儀式の内容を口外してはいけない決まりになっています。取材も特別な許可を受けて取材しており、お伝えできる内容は儀式の一部のみになります。
