高野山で結縁灌頂を受けてみました 取材・文/藤田ベリー
宗旨・宗派を問わず、誰でも受けられる
宗旨・宗派を問わず、
誰でも受けられる

およそ1200年前、弘法大師・空海が長安にて
弘法大師(空海)が投じられた華(花)は、いずれも大日如来の上に落ちました。師からその弟子へ、さらにその弟子へ。脈々と受け継がれて来たその儀式に、一般人が参加できる……。
「えっ? それってすごいことじゃない? 本当にそんなことが可能なの?」というのが正直な印象でした。それは僧侶にならないと、受けられないと思っていたからです。しかも宗旨・宗派を問わず、誰でも受けられるとのこと。
高野山では結縁灌頂が年に2回あります。5月に行われる春季
聞けば、知る人ぞ知る人気ぶりで、高野山では最近まで整理券を求めて朝から並んだのだとか。しかも、朝から夜遅くまで待っていた人も多かったそうです。
それが、今ではチケットぴあにて事前予約できることになり、家のパソコンやスマホからでも予約可能に。これは画期的です。

体験取材に伺ったのは平成30年5月3日の春季胎蔵界結縁灌頂。集合場所は高野山「金堂」です。
決められた時間に金堂前に着くと、すでに同じ時間に受ける人たちが並んでいました。金堂に入ると中は薄暗く、同じ班の人たちと席に座ります。20~30人くらいでしょうか。堂内からは真言の声が聞こえ、前の班の人たちがまさに儀式のまっ最中。
やがて、僧侶の説法が始まります。しかし、感動的なお話で内容が良かっただけでなく、何かが違うのです。それを言葉にするのはとても難しいのですが、1200年以上続く“長い歴史の中にいる”という感覚でした。
説法が終わり、阿闍梨様から戒律と、結縁する際に必要な真言や印を授かります。
そして受者一人ひとりが仏様になること、仏になって世の中のために尽くすことを教わります。そこで、この儀式が本当にすごいものだということを再認識します。
密教が初めての人には分かりにくいかもしれませんが、これは「
自分も仏様になる。それは、仏様と縁を結んでいただくための、最低限の礼儀なのかもしれません。

その後、班全体で違う場所へ移動。堂内には大勢の人が結縁灌頂をしているのか、少しずつ儀式が進行します。その間、高野山の僧侶をはじめ、参加者たちの
とにかく、こういう儀式へ初めて参加する私には今まで体験したことのない世界でした。想定外の神秘的な儀式、日常のそれとは全く別次元のわくわくドキドキ感。
次の場所に移り、いよいよ教えてもらった印を組みながら、真言を唱え始めます。そして、その次の部屋からはなんと、目隠しをして歩くことになります。
両手は印を組み、
ただ、心配することはありません。僧侶が優しく導いてくれます。前の人の背中から指が離れてしまっても、そっと僧侶の方が手を貸してくださいました。
真っ暗な空間でずっと真言を唱え続けていると、いつの間にか自分が“個”を超えて、その場と一体となっていく感覚を覚えます。今まで体験したことのない新鮮な体験なのだけど、どこか懐かしいというか。弘法大師からずっと続いてきた歴史の中にいることは確かでした。敏感な人ならもっと良い表現が見つかるかもしれません。

やがて、僧侶に誘導され、ある場所に到着します。そこで両腕を伸ばし、樒を落とすのです。そうです。これこそ弘法大師が唐の都・長安でされたという「

外へ出ると、降っていた雨も上がり、清々しい壇上伽藍がそこにありました。いつもの世界へ帰ってきた感覚といいましょうか。まるで夢を見ていたかのような時間でした。結縁灌頂のお守りなどを授かり、すべて終了。所要時間の1時間半はあっという間に過ぎていきました。
じつは高野山では何度も参加しているリピーターの方が多いのだとか。まさに同感! 一度参加すると、また参加したくなる。そんな儀式なのです。